オメガ 高精度への情熱

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腕時計通販専門店Cronus店長です。
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時計が意志をもっているとしたら、彼の目的は使用者に正確な時刻を知らせることでしょう。

高精度な時計は高品質の証でもあって、メーカー側も最重視するポイントです。
そして、オメガは数ある時計メーカーの中でも、精度に対して特に力を入れていて、その姿勢がそのままブランドのステータスへと繋がっています。

オメガの精度へのこだわりを示すエピソードとしては、スイスの天文台で行われていた「クロノメーター・コンクール」での活躍が知られています。
このコンクールは、”時計界のF1”とも呼ばれる精度競争で、ロレックスやゼニスなど名だたるビッグメーカーが参加し、19世紀中ごろから1967年までオメガは好成績を上げていました。

しかも、オメガは他メーカーと異なりコンクールで得たノウハウをきちんとフィードバックしています。
コンクールで使用した30㎜径のムーブメント(これがコンクールにおける最大サイズでした)をベースに市販モデルを作り、通常モデルでさえも精度に拘りました。
この姿勢が、多くのオメガファンの絶大な支持を集めるのでしょうね。

こうして高精度時計の象徴として時計界に君臨してきたオメガですが、1960年代に入るとその地位を脅かす存在が現れました。
日本の時計メーカー「セイコー」です。

セイコーはオメガの独壇場だったクロノメーター・コンクールに1963年に初参加し、4年後にはオメガに次ぐ高成績を叩き出しました。
この戦いは日本の週刊誌でも取り上げられるほどの大ニュースとなりました。

 

クォーツショック
これはセイコーが1969年に発表したクォーツウォッチ「クォーツアストロン」がきっかけとなって発生した時計業界におけるドラスティックな産業構造の変化でした。

機械式時計はゼンマイのほどける力を利用して歯車を動かす機構のため、ゼンマイのほどけるスピードを安定して制御する必要があり、”完璧な精度”を示すことは非常に困難なミッションです。

超一流の技術者が数年がかりで研究開発し、さらに天才的な技能を持つ時計師が調整して完成するというクロノメーター・コンクール用の時計でさえ、ようやく”日差”が1秒以内に収まるかというレベルです。

そんな状況下で”年差”が10秒以内というクォーツウォッチの登場は、スイス時計業界に与える影響は甚大でした。

 

水晶に電圧を加えると発生する振動(ピエゾ効果)を利用して正確な1秒を割り出し、ICで制御したモーターを正確に動かすというクォーツウォッチは、調整のための熟練の時計師を必要としません。
そしてオートメーション化した工場での大量生産が可能となり、時計自体の価格も完全に暴落してしまうことになりました。
高級品であった腕時計は、完全にカジュアルなアクセサリーとなってしまったのです。
灰色の時代
特に大打撃を受けたのはスイス時計産業です。
倒産が多発し、時計業界を守るため多くのメーカーがASUAG(スイス時計総合株式会社)とSSIH(スイス時計工業協会)の2社に統合されました。
その結果、2社の合計生産本数はセイコーの2倍以上となったものの、売上はセイコーの10億ドルに比べ7億ドル程度に落ち込んでしまいました。
かつては40%以上獲得していたシェアも半分近く落ち込んでしまい、当然景気は悪化します。
多くの時計職人が職を失い、スイス時計業界にとって灰色の時代となりました。

でも、セイコーだけが悪者なのでしょうか?
アメリカでは1957年にハミルトンが電池式の腕時計を発明していますし、1960年にはブローバ(こちらもアメリカのメーカー)から音叉を使った時計「アキュトロン」が発売されていますように、セイコーのクォーツアストロン発表前から時計業界では電子化の動きが始まっていたのです。

スイス国内でもIWCなどが中心となって共同開発したクォーツムーブメント「ベータ21」を1969年に発表してますし、オメガも月差1秒という高精度クォーツウォッチ「コンステレーション・メガクォーツ f2.4Mhz」を1970年に発表しています。
呑気に構えていたわけではありませんが、それでも大打撃となってしまったのは時計メーカーが多すぎたこととサプライヤーの減少が原因でしょう。
スイスの時計メーカーは、その多くが家内工業からの発展形であるため規模が小さかった。その中小メーカーが1200社ほどひしめいていたので、急激な時代の変化に対応できなかったのは、ある意味仕方なかったのかもしれません。

 

救世主現る
苦しみのどん底にあるスイス時計業界に1人の救世主が登場しました。
現在オメガも所属しているスウォッチグループの創業者であるニコラス・G・ハイエックです。
ハイエックは世界中である実験を行いました。
無銘の時計に「日本製」「香港製」「スイス製」とだけ記して、人々がどの時計を選ぶかをサンプリング調査しました。
その結果、見事にスイス製と記された時計がトップ。
「メイド・イン・スイス」のブランド力は健在だということが証明されたのです。

そして彼はオメガの再建に着手しました。
高品質・高精度の代名詞であったオメガの名を汚すような商品を廃盤とし、かつて栄華を誇ったスイスらしい高級時計のあり方を再構築しました。
また傘下に収めていたムーブメント製造会社のETAにオメガ専用のムーブメントを開発させ、エクスクルーシブな存在であることをアピールしました。
売れ筋商品を終了させ、しかも莫大な資金が必要な新モデル開発というハイエックの手法は、不景気の時代には自殺行為と嘲笑され、いわゆる”痛みを伴う改革”に社員は猛反対しました。
しかし、ハイエックの信念は変わらず、その後のオメガ、そしてスイス時計業界復活へと繋がります。

 

機械式時計の復活
もはや時代遅れとなっていた機械式時計ですが、熱心な愛好家が残っていたことも幸運でした。
機械式時計に価値を見出し、またその価値を創造できる人材は枯渇していない・・・不遇の時代でしたが、機械式時計復活への道は徐々に開けていきました。

機械式時計が復活したきっかけについては諸説あります。
1984年というクォーツ全盛期に、あえて機械式クロノグラフ「クロノマット」を発表したブライトリングや、”機械式時計しか作らない”と宣言したブランバン、さらに日本やイタリアで起きたアンティークウォッチブームなどが同時多発的に発生したことと、ハイエックによるオメガ再建計画とが見事にシンクロして大きなムーブメントとなりました。
そしてオメガは1990年にムーンフェイズ付きのトリプルカレンダー「スピードマスター・クラシック」で本格的に機械式時計の世界に復帰しました。

このように、オメガが機械式時計復活の大きな要因の一つであったことは紛れもない事実です。

スイス時計業界の大物であるジャン・クロード・ビバー(現ウブロ会長)は、副社長としてオメガの復興に死力を尽くしていた際にこう語っています。

「もしオメガが存在しなかったら、時計産業のあり方は現在とはかなり違うものになっていただろう。
最初の腕時計クロノメーターはオメガが作ったものであり、最初に月に到達した時計もオメガが作ったものだった。
オメガは時計の世界の中心であり、オメガが起源であることを忘れることはできない。」
(THE OMEGA BOOK-オメガ150年の軌跡(徳間書店刊)P15から一部抜粋)

 

時計の精度と進化に拘るオメガの姿勢こそが、スイス時計界の宝と言えます。

 

 

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